こんにちは。日本文化ラボ(Nippon Culture Lab)運営者の「samuraiyan(さむらいやん)」です。
「とらや」と聞くと、まず羊羹を思い浮かべる方が多いのではないでしょうか。
小倉羊羹「夜の梅」、食べきりやすい小形羊羹、竹皮包羊羹。改まった贈り物や大切な方への手土産として、とらやを選んだ経験がある方もいると思います。
しかし、とらやの本当の面白さは「高級な羊羹の老舗」というだけではありません。
とらやは、正確な創業年こそわかっていないものの、室町時代後期の京都で創業し、5世紀にわたって和菓子屋を営んできた老舗です。
後陽成天皇の在位中には御所御用を勤めていた記録があり、1869年には京都の店を残しながら東京へ進出しました。
さらに、江戸時代には店の規則を「掟書」として整え、1973年には菓子資料室「虎屋文庫」を設立。1980年にはパリへ進出しています。
つまり、とらやは伝統を「昔から何となく続いているもの」として扱ってきたのではありません。
記録する。規則にする。研究する。そして、時代に合わせて届ける場所や方法を変える。
この仕組みそのものが、とらやの企業文化です。
この記事では、とらやの歴史、御所御用、1805年の掟書、東京進出、羊羹「夜の梅」、京都一条店、虎屋文庫、パリ店、あんペーストなどを通して、5世紀続く老舗が「何を守り、何を変えてきたのか」を詳しく解説します。
- とらやが室町時代後期の京都で創業した老舗であること
- 御所御用と、とらやの歴史の関係
- 1805年の「掟書」に見る組織文化
- 1869年に京都店を残して東京へ進出した理由
- 羊羹「夜の梅」の歴史と2026年の価格
- 機械と職人技を使い分ける羊羹づくり
- 京都一条店・虎屋菓寮・京都ギャラリーの違い
- 虎屋文庫が和菓子文化を記録・研究する役割
- 1980年のパリ進出が持つ意味
- あんペーストに見る現代の革新
- とらやが「守るもの」と「変えるもの」をどう分けているか
- とらやとは?室町時代後期の京都で創業した老舗和菓子店
- とらや5世紀の歴史は「御所御用」とともに始まった
- 1805年の「掟書」|伝統を人任せにしない企業文化
- 1869年、京都の店を残したまま東京へ進出
- 代表銘菓「夜の梅」|江戸時代から続く羊羹
- 全部を手作業にしない|機械と職人の五感を使い分ける
- 2026年の「夜の梅」の値段と選び方
- とらやの羊羹は賞味期限が長い|開封後には注意
- 京都一条店は、とらやの「原点」に触れられる場所
- 京都限定の小形羊羹「白味噌」「黒豆黄粉」
- 「千里の風」は京都一条店限定ではなく赤坂店限定
- 1973年「虎屋文庫」|伝統を保存・研究する会社
- 1962年の百貨店出店から全国へ|「届け方」を変えた
- 1980年パリ店|和菓子を日本文化として海外へ伝える
- あんペーストに見る、とらやの現代的な革新
- 「おいしい和菓子を喜んで召し上がって頂く」が判断の軸
- とらやの企業文化|記録する・仕組みにする・届け方を変える
- 他の京都老舗と比較すると、とらやの特徴がわかる
- とらやの羊羹はどんな用途に向いている?
- よくある質問
- まとめ|とらやの企業文化は「伝統を仕組みにして次代へ渡す」こと
とらやとは?室町時代後期の京都で創業した老舗和菓子店

とらやは、京都を発祥とする和菓子店です。
公式情報では、正確な創業年はわかっていません。
そのため「創業500年」と年数を固定するより、
「室町時代後期に京都で創業し、5世紀にわたり和菓子屋を営んできた」
と表現するのが正確です。
現在は18代目へ受け継がれ、日本国内に約80店舗を展開するほか、フランス・パリにも店舗があります。
本社は現在東京にありますが、企業としての原点は京都です。
京都の和菓子文化全体については、京都の和菓子とは?歴史・季節・老舗・甘味処をわかりやすく解説でも詳しく紹介しています。
とらや5世紀の歴史は「御所御用」とともに始まった

とらやの歴史を理解するうえで欠かせないのが「御所御用」です。
現存する記録から、後陽成天皇が在位した1586年から1611年の頃には、とらやが御所御用を勤めていたことが確認されています。
宮中へ菓子を納める仕事は、単なる商品の販売とは異なります。
季節の行事や儀礼、贈答などに応じた菓子を、求められる時期と内容に合わせて用意する必要があります。
とらやには、こうした宮中への菓子づくりに関する古い記録が現在まで残されています。
実際、とらやで確認されている最も古い羊羹の御用記録は寛永12年(1635年)です。
この長い蓄積が、後の羊羹や生菓子の文化につながっていきます。
とらやの特徴は、長く営業していることだけではありません。何を作り、誰へ届け、どのような菓子が求められたのかという史料を残してきた点にもあります。この「記録を残す文化」が、現在の虎屋文庫へつながっています。
1805年の「掟書」|伝統を人任せにしない企業文化
とらやの企業文化を考えるうえで、非常に重要なのが江戸時代の「掟書」です。
18世紀末の京都では、1788年の天明の大火などによって経済環境が悪化し、とらやも厳しい経営状況に置かれました。
その中で9代黒川光利は経営改革を進め、1805年には店の規則である「掟書」を整えました。
内容は、商いの心得だけではありません。
- 店の組織のあり方
- 店員の行動
- 休憩などの決まり
- 火の用心
- 店員から意見を取り上げる姿勢
など、多岐にわたります。
現代でいえば、就業規則や行動指針に近いものです。
ここに、とらやらしい企業文化が見えます。
伝統や心得を「先輩の背中を見て覚えるもの」だけにせず、文章として残す。
人が入れ替わっても、組織として大切にする考え方を伝えられる仕組みを作っていたのです。
- 危機の中で組織改革を行った
- 仕事の考え方を文章にした
- 店員の生活や働き方にも規則を設けた
- 個人の記憶だけに頼らない仕組みを作った
- 菓子の技術だけでなく組織文化も継承した
1869年、京都の店を残したまま東京へ進出

とらやの歴史における大きな転機が、明治維新です。
1869年、明治天皇が東京へ移られることになりました。
長く御所御用を勤めてきたとらやにとって、主要な顧客である皇室が京都から東京へ移ることは大きな環境変化でした。
そこで、とらやが選んだのは、
京都か東京か、どちらか一方を選ぶことではありませんでした。
京都の店を維持しながら、12代黒川光正が東京にも拠点を設けたのです。
その後、東京では神田などを経て営業拠点を移し、現在の赤坂へつながっていきます。
「京都を捨てて東京へ移った」わけではない
ここは、とらやの歴史を理解するうえで重要です。
東京への進出は、京都との決別ではありません。
京都という原点を残しながら、社会の中心と顧客の移動に合わせて新しい拠点を作ったのです。
これは現代の経営でいえば、環境の変化に合わせた事業拠点の再構成ともいえます。
守る対象は「京都にしか店を持たないこと」ではなく、「和菓子を届け続けること」だった。
その判断が、後の全国展開や海外展開につながっていきます。
代表銘菓「夜の梅」|江戸時代から続く羊羹

とらやを代表する商品が、小倉羊羹「夜の梅」です。
「夜の梅」という菓銘自体は、元禄7年(1694年)の古文書に見ることができます。
現在につながる羊羹の銘として確認できる最初の記録は、文政2年(1819年)です。
羊羹を切った断面に見える小豆の粒を、暗い夜に咲く梅の花に見立てたことから「夜の梅」と名付けられています。
梅味の羊羹という意味ではありません。
菓子の味だけではなく、切り口から情景を想像する。
こうした名前の付け方も、日本の和菓子文化らしい特徴です。
「夜の梅」はシンプルな原材料で作られる
公式の紹介では、「夜の梅」の主な原材料は、
- 北海道産小豆
- 糸寒天
- 砂糖
です。
非常にシンプルだからこそ、材料の品質と製造工程が味に直接表れます。
全部を手作業にしない|機械と職人の五感を使い分ける
「500年続く老舗」と聞くと、すべてを昔ながらの方法で手作業しているイメージを持つかもしれません。
しかし、とらやの羊羹づくりはそうではありません。
公式の製造紹介では、安定性や持続性が必要な攪拌などの工程には機械を使用しています。
一方で、羊羹の煉り上がりを決める重要な判断は熟練した職人が行います。
大きなしゃもじから羊羹が垂れる状態などを見ながら、五感を使って仕上がりを判断します。
つまり、
「昔ながら=すべて手作業」ではありません。
機械の方が安定する仕事は機械へ任せ、人間の経験や感覚が重要な部分は職人が担う。
これも、とらやが品質を守りながら生産を続ける方法です。
伝統を守ることと、新しい技術を使うことは反対ではありません。重要なのは「何を機械化してよいのか」「どこは人が判断するべきなのか」を見極めることです。
2026年の「夜の梅」の値段と選び方
2026年9月時点の公式オンラインショップでは、「夜の梅」は次の価格で販売されています。
| 種類 | 2026年確認価格 | 向いている用途 |
|---|---|---|
| 小形羊羹 夜の梅 | 1本324円 | 自宅用、少人数への手土産、配りもの |
| 中形羊羹 夜の梅 | 1本1,512円 | 家庭で切り分けて楽しみたい場合 |
| 竹皮包羊羹 夜の梅 | 1本3,024円 | 改まった贈答、季節の挨拶 |
小形羊羹は食べきりやすさが強み
小形羊羹は50gの食べきりサイズです。
切り分ける必要がなく、一人ずつ渡しやすいため、職場や複数人への手土産にも使いやすい商品です。
2026年8月の公式案内では、「夜の梅」のほか「おもかげ」「新緑」「はちみつ」「和紅茶」などが通年商品として紹介されています。
竹皮包羊羹は改まった贈答に向く
竹皮包羊羹は、とらやらしい格式を感じやすい商品です。
お中元やお歳暮、節目のご挨拶など、きちんとした贈答をしたい場合に選びやすいでしょう。
ただし、相手が一人暮らしだったり、少量ずつ食べたい方だったりする場合は、小形羊羹の詰め合わせの方が使いやすい場合もあります。
「高価な方がよい」ではなく、相手の人数や暮らし方で選ぶのがおすすめです。
とらやの羊羹は賞味期限が長い|開封後には注意
とらやの羊羹は、贈答品として扱いやすい長期保存性も特徴です。
2026年の公式案内では、小形羊羹など対象の羊羹は、未開封で製造から1年の賞味期限が設定されています。
一方、開封後は扱いが変わります。
公式案内では、羊羹が空気に触れると砂糖の再結晶やカビが生じることがあるため、ラップなどで密封し、できるだけ早く食べるよう案内されています。
また、6月から9月は冷蔵保存が推奨されています。
- 未開封の賞味期限は商品表示を確認する
- 小形羊羹など対象商品は製造から1年
- 開封後は切り口をラップなどで密封する
- 開封後はできるだけ早めに食べる
- 6月~9月は冷蔵保存が推奨されている
- 冷蔵した場合は食べる分を室温へ戻すと食感を楽しみやすい
京都一条店は、とらやの「原点」に触れられる場所

京都でとらやの歴史を感じたいなら、京都一条店周辺は重要な場所です。
京都御所の近くにあり、とらやが長く御所御用を勤めてきた歴史と深く結びついています。
現在、このエリアには、役割の異なる施設があります。
| 施設 | 役割 |
|---|---|
| とらや 京都一条店 | 羊羹、最中、季節の生菓子、地域限定商品などを購入する物販店 |
| 虎屋菓寮 京都一条店 | 羊羹、あんみつ、お汁粉などを味わえる喫茶 |
| 虎屋 京都ギャラリー | 和菓子や日本文化に関する展示を行う文化発信の場 |
つまり、この場所では、
「買う」「味わう」「学ぶ」
という3つの方法で、とらやの文化に触れられます。
虎屋菓寮 京都一条店
虎屋菓寮 京都一条店は、京都市上京区一条通烏丸西入ル広橋殿町400にあります。
地下鉄烏丸線「今出川駅」から徒歩約7分です。
京都市公式観光情報では、ラストオーダーは17:30、定休日は毎月最終月曜日(祝日・12月を除く)と案内されています。
店内には、和菓子や日本文化に関する書籍約600冊があり、自由に閲覧できます。
庭を眺めながら菓子を食べるだけではなく、和菓子について知る場所にもなっています。
京都一条店の虎屋菓寮は基本的に席予約不可
2026年現在、とらやが席予約を受け付けている虎屋菓寮は一部店舗に限られており、京都一条店は通常の席予約対象ではありません。
利用する場合は、時間に余裕を持って訪れるのがよいでしょう。
- 物販店と虎屋菓寮は別施設
- 京都御所と組み合わせやすい
- 季節の生菓子も京都一条店で取り扱いがある
- 虎屋菓寮には和菓子・日本文化関連の書籍がある
- 京都ギャラリーの展示内容は事前確認がおすすめ
京都限定の小形羊羹「白味噌」「黒豆黄粉」
京都らしい商品を探す場合は、地域限定の小形羊羹も候補になります。
とらやでは、京都にちなんだ小形羊羹として、
- 白味噌
- 黒豆黄粉
が展開されています。
「白味噌」は京都らしい西京白味噌を使った羊羹。
「黒豆黄粉」は、京都産黒大豆などを煎ったきな粉の香りを楽しめる羊羹です。
定番の「夜の梅」もとらやらしい贈り物ですが、京都旅行のお土産なら地域性のある商品を選ぶ楽しみもあります。
取扱店舗や在庫状況は変わる場合があります。京都限定商品を目的に訪れる場合は、購入予定店舗へ最新の取り扱いを確認してください。
「千里の風」は京都一条店限定ではなく赤坂店限定
旧記事では、特製羊羹「千里の風」を「赤坂店・京都一条店限定」と紹介していましたが、ここは訂正します。
「千里の風」は赤坂店限定商品として展開されている羊羹です。
黄と黒の虎斑模様で、風を切って走る虎を表現した、屋号の「虎」にちなんだ商品です。
京都一条店の限定商品として探さないよう注意してください。
1973年「虎屋文庫」|伝統を保存・研究する会社
とらやの企業文化で、商品以上に注目したいのが虎屋文庫です。
虎屋文庫は1973年に設立されました。
目的は、とらやや和菓子に関する資料を収集・保存し、和菓子文化の伝承と創造に役立てることです。
古文書だけでなく、和菓子に関係する文献や資料なども扱っています。
ここに、とらやの伝統に対する考え方がよく表れています。
伝統を「昔の人から聞いた話」だけで残すのではなく、史料として保存し、調査・研究できる状態にする。
だからこそ、現在でも、
- いつ御所御用を勤めていたのか
- 昔どんな菓子が作られていたのか
- 誰がどんな菓子を注文したのか
- 羊羹や和菓子がどのように変化したのか
を史料からたどることができます。
1805年の「掟書」と1973年の「虎屋文庫」はつながっている
時代は約170年離れていますが、両者には共通点があります。
1805年の掟書は、店の価値観や規則を文章にして残す仕組み。
1973年の虎屋文庫は、菓子や会社、和菓子文化の資料を残し研究する仕組み。
どちらも、
「大切なものは記録しなければ次の世代へ正確に残らない」
という考え方に通じています。
これこそ、とらやを他の老舗と区別する大きな企業文化です。
1962年の百貨店出店から全国へ|「届け方」を変えた
とらやは東京へ進出した後も、販売方法を変えていきました。
1948年には株式会社となり、1962年には百貨店への出店を本格化します。
その後は百貨店や駅などにも売場を広げ、現在は国内に約80店舗を展開しています。
ここでも、商品そのものだけを変えて成長したわけではありません。
「どこで買えるか」を変えたのです。
京都や赤坂の直営店へ行かなければ買えない状態から、生活圏や交通拠点の中でも購入できるブランドへ変化しました。
1980年パリ店|和菓子を日本文化として海外へ伝える
とらやの変化を象徴するもう一つの出来事が、1980年のパリ店開設です。
パリ店は、単に海外で羊羹を販売するためだけに開設されたものではありません。
とらやは、「和菓子を通して日本文化を海外へ紹介したい」という考えのもと、パリへ進出しました。
現在もフランス・パリ1区に店舗があります。
パリ店では羊羹や和菓子を販売・提供するだけでなく、長年にわたり日本文化を紹介する催しや日仏交流にも関わってきました。
つまり、とらやにとって和菓子は「商品」であると同時に、文化を伝える媒体でもあります。
- 室町時代後期:京都で創業
- 1586~1611年頃:御所御用の記録
- 1805年:掟書を整備
- 1869年:京都店を残して東京へ進出
- 1948年:株式会社化
- 1962年:百貨店への出店を本格化
- 1973年:虎屋文庫設立
- 1980年:パリ店開設
- 現在:18代目・国内約80店舗+パリ店
あんペーストに見る、とらやの現代的な革新

現代のとらやの変化をわかりやすく表す商品が「あんペースト」です。
羊羹や最中、生菓子ではなく、餡を瓶に入れ、パンやヨーグルトなどにも合わせられるようにした商品です。
2026年9月現在も、とらや公式オンラインショップでは、
- あんペースト[こしあん]
- あんペースト[黒砂糖とメープルシロップ]
が、それぞれ1,080円で販売されています。
「こしあん」は、小豆・砂糖・寒天というシンプルな材料で作られています。
羊羹のように「和菓子として完成された形」を渡すのではなく、食べる人がパンなどへ自由に組み合わせられる形にしたことが特徴です。
変えたのは「あん」ではなく、あんとの付き合い方
あんペーストの面白さは、伝統的な餡を捨てて新しい味へ置き換えたことではありません。
中心にあるのは、今までと同じ「あん」です。
変えたのは、食べ方や使う場面です。
朝食のトースト。
ヨーグルト。
自宅のおやつ。
和菓子店へ行かなくても、日常の食卓の中で餡を楽しめるようにしたのです。
伝統的な素材を変えるのではなく、現代の暮らしとの接点を作る。
これも、とらやの革新の形です。
「おいしい和菓子を喜んで召し上がって頂く」が判断の軸
とらやには、長い歴史、御所御用、掟書、虎屋文庫など、多くの文化的な要素があります。
しかし、会社の目的を難しく考えすぎる必要はありません。
とらやが大切に掲げている考えは、
「おいしい和菓子を喜んで召し上がって頂く」
というものです。
この考えで歴史を見直すと、各時代の変化が理解しやすくなります。
東京へ進出したのも、百貨店へ出店したのも、パリに店を作ったのも、あんペーストを開発したのも、形は違います。
しかし、中心にあるのは「菓子を作り、喜んでもらう」という仕事です。
だから、場所や販売方法を変えても、会社の中心軸が失われにくいのでしょう。
とらやの企業文化|記録する・仕組みにする・届け方を変える
ここまでの歴史を整理すると、とらやの企業文化には3つの特徴があります。
1.記録する
御所御用の記録、菓子の記録、古文書、掟書などが残されています。
さらに虎屋文庫を設け、会社だけでなく和菓子文化そのものを保存・研究しています。
2.仕組みにする
技術や心得を個人の経験だけに頼らず、組織として継続できるようにしています。
江戸時代の掟書は、その象徴です。
現代の製造でも、機械に任せる部分と熟練職人が判断する部分を分けています。
3.届け方を変える
京都だけでなく東京へ。
直営店だけでなく百貨店や駅へ。
日本だけでなくパリへ。
羊羹だけでなく、あんペーストのような日常的な商品へ。
時代に合わせ、顧客との接点を変えてきました。
| 守ってきたもの | 変えてきたもの |
|---|---|
| 和菓子のおいしさを届けるという考え | 京都だけでなく東京へ拠点を拡大 |
| 羊羹や生菓子の技術 | 機械を活用した製造 |
| 歴史資料や文化 | 百貨店・駅など販売場所を拡大 |
| 職人が判断する重要な工程 | パリへ海外展開 |
| 餡を中心とする菓子づくり | あんペーストなど食べ方を現代化 |
とらやは「変わらない会社」なのではありません。
変えてはいけないものを明確にすることで、それ以外を大胆に変えられる会社と見る方が実態に近いでしょう。
他の京都老舗と比較すると、とらやの特徴がわかる
これまで日本文化ラボで紹介してきた京都の老舗と比較すると、とらやの伝統の守り方がさらにわかりやすくなります。
| 老舗 | 伝統の続け方 |
|---|---|
| とらや | 伝統を記録・制度化し、組織として継承しながら届け方を変える |
| 亀屋良長 | 伝統技術を土台に商品・ブランドを積極的に広げる |
| 出町ふたば | 名代豆餅の品質を守りながら百貨店や京都駅へ販路を広げる |
| 一文字屋和輔 | 今宮神社門前であぶり餅・建物・参道文化を継承する |
| 粟餅所・澤屋 | 北野で粟餅一筋、出来立て・当日限りの商いを13代継承 |
| 阿闍梨餅本舗 満月 | 商品を少数に絞り品質へ集中する |
職人技を家族で受け継ぐ老舗については、緑寿庵清水とは?京都の金平糖専門店に学ぶ一子相伝と企業文化も参考になります。
商品革新を続ける老舗については、亀屋良長とは?烏羽玉・スライスようかんと伝統を革新する企業文化で詳しく紹介しています。
販売方法を変えながら生菓子の品質を守る例としては、出町ふたばとは?名代豆餅・行列・予約と120年続く老舗文化も比較するとわかりやすいです。
とらやの羊羹はどんな用途に向いている?
企業文化だけでなく、実際にとらやの商品を選ぶ場合の目安も整理しておきます。
| 目的 | 選びやすい商品 |
|---|---|
| 自宅で少し食べたい | 小形羊羹 |
| 職場や複数人への手土産 | 小形羊羹の詰め合わせ |
| 目上の方への改まった贈答 | 竹皮包羊羹・羊羹詰め合わせ |
| 京都らしい土産 | 京都地域限定商品 |
| 日常的に餡を楽しみたい | あんペースト |
京都土産として阿闍梨餅と比較したい場合は、阿闍梨餅本舗 満月とは?日持ち・店舗・買い方と4種類に絞る老舗文化も参考にしてください。
よくある質問
とらやの創業は何年ですか?
正確な創業年はわかっていません。公式情報では、室町時代後期の京都で創業し、5世紀にわたり和菓子屋を営んできたとされています。
とらやは本当に500年続いているのですか?
「創業500年」という正確な年数ではなく、「5世紀にわたり営業してきた」とするのが公式情報に沿った表現です。後陽成天皇の在位中、1586~1611年頃には御所御用を勤めていた記録があります。
現在は何代目ですか?
2026年現在、18代目が家業を継いでいます。
なぜ京都発祥なのに本社は東京にあるのですか?
1869年の東京遷都を受け、京都の店を残しながら東京にも進出したためです。その後、東京での事業が拡大しました。
とらやを代表する羊羹は?
小倉羊羹「夜の梅」です。羊羹の切り口に見える小豆の粒を、夜に咲く梅に見立てた菓銘です。
夜の梅はいくらですか?
2026年9月時点の公式オンラインショップでは、小形羊羹324円、中形羊羹1,512円、竹皮包羊羹3,024円です。
とらやの羊羹の賞味期限は?
小形羊羹など対象となる羊羹は、未開封で製造から1年と案内されています。商品によって異なる場合があるため、実際の表示を確認してください。
羊羹は開封後も常温でよいですか?
開封後はラップなどで密封し、できるだけ早く食べるよう案内されています。6月~9月は冷蔵保存が推奨されています。
京都一条店と虎屋菓寮は同じ施設ですか?
近くにありますが役割が異なります。京都一条店は主に物販、虎屋菓寮 京都一条店は喫茶です。虎屋 京都ギャラリーでは文化展示も行われます。
虎屋菓寮 京都一条店は予約できますか?
2026年現在、京都一条店は通常の席予約対象店ではありません。時間に余裕を持って訪れるのがおすすめです。
京都限定の羊羹はありますか?
京都にちなんだ小形羊羹として「白味噌」「黒豆黄粉」などがあります。取扱店舗・在庫は最新情報を確認してください。
「千里の風」は京都一条店限定ですか?
いいえ。「千里の風」は赤坂店限定商品です。旧記事の「赤坂店・京都一条店限定」という記載は訂正しました。
虎屋文庫とは何ですか?
1973年に設立された菓子資料室です。とらやや和菓子に関する史料を収集・保存・研究し、和菓子文化の伝承と創造に役立てています。
パリ店はいつできましたか?
1980年10月6日に開店しました。和菓子を通して日本文化を海外へ紹介することを目的とした海外展開です。
あんペーストは今も買えますか?
はい。2026年9月現在も公式オンラインショップなどで販売されています。「こしあん」「黒砂糖とメープルシロップ」などがあります。
まとめ|とらやの企業文化は「伝統を仕組みにして次代へ渡す」こと

とらやは、室町時代後期の京都で創業し、5世紀にわたり続いてきた和菓子店です。
後陽成天皇の時代には御所御用を勤め、江戸時代には羊羹などの菓子を作り続けてきました。
しかし、とらやが現在まで続いた理由を「御所御用だったから」「羊羹がおいしかったから」だけで説明することはできません。
1805年には、店の規則を「掟書」として整えました。
1869年には、京都を残しながら東京へ進出しました。
1962年には百貨店への出店を本格化。
1973年には虎屋文庫を設立し、歴史資料と和菓子文化を保存・研究する仕組みを作りました。
1980年にはパリへ進出しました。
現在では、国内約80店舗とパリ店を展開しながら、あんペーストのような現代の生活に合う商品も生み出しています。
この歴史から見えてくるのは、
「伝統は、そのまま放置すれば残るものではない」
ということです。
記録する。
仕組みにする。
職人を育てる。
必要なところには機械を使う。
社会が変われば店を出す場所も変える。
日本文化を伝えるためなら海外へも出る。
一方で、「おいしい和菓子を喜んで召し上がって頂く」という中心は変えない。
守るべきものが明確だから、変えるべきものを変えられる。
これが、とらやが5世紀にわたり続いてきた企業文化の大きな特徴です。
次に「夜の梅」を切ったとき、小豆の粒を梅の花に見立てた菓銘だけでなく、その羊羹の後ろにある御所御用、東京進出、掟書、虎屋文庫、パリ店の歴史も思い出してみてください。
一切れの羊羹が、単なる甘味ではなく、長く継承されてきた日本文化の一部として見えてくると思います。
- 正確な創業年は不明、室町時代後期の京都創業
- 5世紀にわたり和菓子屋を営む
- 現在は18代目
- 後陽成天皇の時代には御所御用の記録がある
- 1805年の掟書に組織文化が残る
- 1869年、京都店を残しながら東京へ進出
- 1973年に虎屋文庫を設立
- 1980年にパリ店を開設
- 現在は国内約80店舗+パリ店
- 2026年の小形羊羹「夜の梅」は1本324円
- 対象の羊羹は未開封で製造から1年の賞味期限
- 「千里の風」は京都一条店ではなく赤坂店限定
- あんペーストは2026年現在も販売中
商品価格、販売期間、地域限定商品の取り扱い、店舗営業時間、休業日、虎屋菓寮の利用方法などは変更される場合があります。購入・訪問前には株式会社虎屋の公式サイト、公式オンラインショップ、各店舗の最新案内をご確認ください。
この記事は2026年9月1日時点で確認できる株式会社虎屋の公式情報、虎屋文庫・公式年表、とらやオンラインショップ、トラヤフランス、京都市公式観光情報などをもとに更新しています。

