こんにちは。日本文化ラボ(Nippon Culture Lab)、運営者の「samuraiyan(さむらいやん)」です。
「島津製作所とはどんな会社?将来性は?年収や投資対象としてはどうなのか?」
京都の島津製作所は、どのようにして京都発企業から世界企業へと成長したのでしょうか。ノーベル賞を受賞した田中耕一さんのニュースで、その社名を知った方も多いかもしれませんね。就職先としても人気が高く、その歴史や事業内容、特に医療機器の分野などに興味を持つ方もいると思います。長い歴史の中で、仏具の製造から始まり、今では最先端の分析装置で世界をリードする存在になっています。この記事では、そんな島津製作所の歴史や独自の強みについて、わかりやすく紐解いていきます。
島津製作所とは?基本情報まとめ
島津製作所とは、京都で創業し150年以上の歴史を持つ総合精密機器メーカーです。世界的な分析装置メーカーとして医療・環境・食品・半導体分野を支えています。
- 創業:1875年(明治8年)
- 本社所在地:京都市中京区
- 主力事業:計測機器・医用機器・産業機器・航空機器
- 海外売上比率:50%以上(直近決算ベース)
- 上場市場:東証プライム
島津製作所は、京都で創業し150年以上の歴史を持つ総合精密機器メーカーです。質量分析計や液体クロマトグラフといった最先端の分析装置で世界的シェアを誇り、医療・環境・食品・半導体など幅広い分野を支えています。
この記事でわかること
- 島津製作所が仏具製造から最先端科学企業へ成長した歴史
- 京都の産業を支えてきた独自の分社化戦略と企業風土
- ノーベル賞受賞者を生み出した「失敗を恐れない」文化
- 現在の4つの主力事業と今後のグローバルな展開
京都発企業から世界企業へ進化した島津製作所の歩み
島津製作所のこれまでの道のりは、単なる一企業の歴史ではなく、日本の近代産業の発展そのものと言っても過言ではありません。ここでは、創業の背景から独自の経営スタイルまで、歴史的な歩みを詳しく見ていきましょう。
創業からの歴史に見る技術革新と挑戦の系譜
明治維新と京都の存亡の危機
島津製作所の原点を深く理解するためには、まず明治初期の京都が置かれていた歴史的な背景を知る必要があります。江戸時代まで日本の中心であった京都は、幕末の動乱による戦火と、その後の東京遷都によって、都市としてかつてないほどの存亡の危機に立たされていました。人口は激減し、長年培われてきた産業も衰退の兆しを見せていたのです。この強烈な危機感こそが、京都を「伝統にしがみつく街」ではなく、「新しいものを積極的に取り入れて生き残る街」へと変貌させる原動力となりました。生き残りをかけた当時の京都の人々の熱気は、現代の私たちが想像する以上のものだったに違いありません。
舎密局の設立と島津製作所の誕生
この未曾有の危機を打開すべく、当時の京都府は近代化に向けた一大プロジェクトを立ち上げます。それが、欧米の最先端技術を導入し、理化学の研究や勧業を行うための施設「舎密局(せいみきょく)」の設置でした。「舎密」とはオランダ語の「Chemie(化学)」に由来する言葉です。この舎密局という、現代で言うところの産学公連携のインキュベーション施設が、まさに島津製作所というイノベーションの苗床となりました。1875年(明治8年)、木屋町二条で産声を上げた島津製作所は、この施設に出入りしながら最新の科学知識を吸収していきます。京都には昔から、京都コーヒー巡り完全ガイド!老舗から話題カフェまで紹介の記事でも触れたような「新しもの好き」で「進取の気性」に富んだ独自の文化が根付いています。島津製作所の歩みは、まさにこの京都ならではのエネルギーを一身に受けて、未知なる近代科学技術への果敢な挑戦をスタートさせた歴史そのものなのです。
仏具から理化学機器への転換と創業者の精神

鋳物職人からの劇的なキャリアチェンジ
島津製作所の創業の歴史を語る上で最も驚かされるのが、初代・島津源蔵さんのルーツです。実は彼は最初から科学者やエンジニアだったわけではありません。もともとは、仏壇周りの仏具や燭台などを手掛ける、京都の伝統的な鋳物職人でした。当時の日本では、近代的な学校教育が始まり、物理や化学の実験に必要な「理化学器械」の需要が急増していましたが、そのほとんどは高価な輸入品に頼らざるを得ない状況でした。そこで源蔵さんは、自身が持つ緻密な金属加工の技術を活かし、見よう見まねで理化学器械の国産化に挑んだのです。これは単なる商売の転換ではなく、長年培ってきた「伝統的な手仕事」を、新しい時代の「科学的実学」へと昇華させた、極めて画期的なパラダイムシフトでした。
「お好み次第」に見るオーダーメイド精神のルーツ
創業から間もない1882年(明治15年)に発行された同社の「理下科機会目録表(カタログ)」には、非常に興味深い一文が記されています。そこには「お好み次第何南品にても製造つ祭り総路なり」という、現代の言葉に訳せば「お客様のご要望次第で、どのような品物でもお作りいたします」という宣言が書かれていたのです。まだ日本の近代産業が産声を上げたばかりの時代に、現代のBtoBビジネスにおける受注生産やカスタムソリューションの概念をいち早く実践していたという事実に、ただただ驚かされますね。「誰もやったことがないことでも、失敗を恐れずに挑み続ける」というこの力強い職人魂とベンチャー精神こそが、島津製作所の根底に流れるDNAとして、150年近い歳月を経た今日まで脈々と受け継がれているのです。
創業期のターニングポイント
- 仏具製造で培った高度な金属加工技術の応用
- 教育現場のニーズを的確に捉えた理化学器械の国産化
- 顧客の細かな要望に応える柔軟なオーダーメイド体制の確立
京都式経営とは一線を画す独自の分社化戦略
技術を囲い込まないオープンな分社化
京都の企業文化といえば、独自のアイデアと強烈なカリスマ性で世界を席巻する任天堂の企業文化と成長戦略を解説したこちらの記事の記事で紹介したような企業や、京セラ、オムロンといった世界的メーカーが有名です。これらは「京都式経営」と呼ばれ、高い自己資本比率やニッチ市場での圧倒的なシェアなどを特徴としています。しかし、島津製作所の立ち位置は、これらの企業とは少し異なります。なぜなら、島津製作所は自社の内部で育んだ優れた技術を独占するのではなく、社会のニーズの広がりに応じて積極的に分社化し、それぞれを独立した企業として外へ羽ばたかせてきた歴史があるからです。一つの技術が成熟すると、それを専門に扱う別会社を設立し、よりスピーディーに事業を展開していくという手法は、当時としては非常に斬新でした。
京都の産業エコシステムを育てた母体として
この分社化戦略によって生まれた企業は、現在も日本の産業界を力強く支えています。以下にその代表的な例をまとめてみました。
| 独立した年 | 当時の部門・技術 | 現在の企業名(役割など) |
|---|---|---|
| 1917年 | レントゲン用電源としての鉛蓄電池部門 | 日本電池(現・GSユアサ) 国内トップクラスの蓄電池メーカー |
| 1929年 | 蓄電池製造の副産物を活用した塗料部門 | 大日本塗料 インフラを守る重防食塗料などの世界的企業 |
| 1948年 | 産業用の輸送機・運搬車両部門 | 日本輸送機(現・三菱ロジスネクスト) バッテリーフォークリフトのパイオニア |
このように、島津製作所は自社の成長だけでなく、京都という地域全体の産業の裾野を大きく広げる「母体」としての役割を果たしてきました。数多くの中小企業が島津製作所の高い要求水準に応える過程で精密加工技術を磨き、グローバルニッチトップ企業へと成長していったのです。この地域社会と共に発展し、日本のモノづくり全体の底上げに貢献していくオープンな姿勢こそが、他とは一線を画す島津製作所ならではの独自の経営スタイルだと言えるでしょう。
ノーベル賞の田中耕一氏を生んだ独自の企業風土

20代若手研究者の快挙とフラットな組織
島津製作所の技術力の高さと、その特異な企業風土を世界中に知らしめた出来事といえば、2002年の田中耕一さんによるノーベル化学賞の受賞を思い浮かべる方が多いはずです。受賞理由は「生体高分子の同定および構造解析のための手法の開発」、具体的には質量分析計における「ソフトレーザー脱離イオン化法」の開発でした。このニュースが世界を驚かせたのは、受賞対象となった研究が、田中さんがまだ20代の若手技術者だった頃に成し遂げられたものだったからです。当時の田中さんは博士号を持たない一介の企業研究者でしたが、社内のフラットな組織文化の中で自由にアイデアを試し、国内の学会で堂々と先行して発表する機会を与えられていました。肩書きや年齢、過去の実績に一切捉われず、純粋に「技術そのものの独創性」を重んじ、若手にも積極的にチャンスを与える島津製作所の度量の大きさが、この世界的快挙を生み出した最大の要因なのです。
「失敗を恐れない」を体現する島津人という生き方
田中さんご自身が、ノーベル賞という個人の名誉よりも「チームで協力して、一つの装置全体を製品として開発できたことが何より嬉しかった」と語っておられたのが非常に印象的です。どんなに天才的な個人の閃きがあっても、それが研究所の中だけで終わってしまっては社会を変えることはできません。その閃きを「目に見える製品」という形に実装し、世界中の研究室や医療現場に普及させていく組織的な実行力こそが島津製作所の真骨頂です。新型コロナウイルスのパンデミック時に迅速にPCR検査装置を開発・提供できたのも、この底力があったからです。
「島津人」を育む人事戦略
島津製作所では、「技術者のチャレンジを頭ごなしに否定しない文化」が深く根付いています。たとえ実験やプロジェクトが失敗に終わったとしても、そこから教訓を学び取り、次のイノベーションの糧とすることを強く推奨しているのです。多様な価値観がぶつかり合う中からこそ真の革新が生まれるという信念のもと、現在も多様な人材がのびのびと活躍できる環境づくりが進められています。
WAZA to WAZAに見る伝統と革新の融合

精密機器と伝統工芸が交差するCraftech
創業150周年という大きな節目を迎えるにあたり、島津製作所は自らの「京都発企業」としてのアイデンティティを再定義するような、非常に野心的で美しいプロジェクトを展開しています。それが「WAZA to WAZA(技と業)」プロジェクトです。なんと、世界中の過酷な研究環境で使われる最先端の分析装置や医療機器に、西陣織や京友禅、金継ぎといった京都が世界に誇る伝統工芸の技術を直接融合させているのです。例えば、同社の主力製品である液体クロマトグラフ「Nexeraシリーズ」のコンセプトモデルには、陶器の破損を漆と金粉で美しく修復する「金継ぎ」の技法が採用されています。これは単なる表面的な装飾ではありません。精密機器に日本の深い美意識と、壊れても直して使い続けるという耐久性の概念を付与する、「Craftech(クラフテック=Craft+Technology)」という全く新しい価値観の提示なのです。
サーキュラーエコノミーと美意識の融合
さらに、別のガスクロマトグラフのモデルでは、AI(人工知能)が複雑なデータを元に生成した未知の文様を、熟練の職人が西陣織で立体的に表現し、それを装置のパネルに組み込むといった高度なコラボレーションも行われています。京都の五感とお香文化で整う!2026年最新体験ガイドでも触れたように、京都には目に見えない精神性や感性を物質に落とし込む卓越した技術があります。「高精度」を追求する工業製品と、「高品質と美」を追求する伝統工芸。この二つが融合することで、ユーザーは無機質な機械に対して深い愛着を抱くようになり、結果として一つの製品を長く大切に使い続けるようになります。これはまさに、現代社会が直面している大量消費の課題に対する、京都らしいサーキュラーエコノミー(循環型経済)の美しい解答だと言えるでしょう。同時に、後継者不足に悩む伝統産業に対して、最先端テクノロジーという「新しい活躍の場」を提供している点も見逃せません。
島津製作所が示す京都発企業の世界企業としての未来
長い歴史と確かな技術力を持つ島津製作所ですが、その視線は常に未来に向けられています。ここでは、現在の主力事業や持続可能な社会に向けた取り組みなど、これからのビジョンについて掘り下げてみたいと思います。
4つの主力事業とグローバル市場展開の強み
見えないものを見る「科学の目」と多角化

現在の島津製作所は、大きく分けて4つの事業セグメントから成り立っており、それぞれが私たちの生活の安全や産業のインフラを根底で支える極めて重要な役割を担っています。最も大きな柱となっているのが、全体の売上の約65%を占める「計測機器事業」です。ここでは、液体クロマトグラフ(LC)や質量分析計(MS)といった、目に見えない微量な物質を正確に測る「科学の目」を提供しており、新薬の開発、食品の残留農薬検査、環境汚染のモニタリングなど、あらゆる分野で不可欠な存在となっています。次いで、祖業からの進化系である「医用機器事業」が約14%。低被ばくで高精細な画像を提供する血管撮影システムなど、高度な医療現場を支えています。さらに、半導体製造の真空環境作りに欠かせないターボ分子ポンプなどを手掛ける「産業機器事業」(約13%)、航空機の姿勢制御を担うフライトコントロールシステムを提供する「航空機器事業」(約7%)と続き、単なる分析機器メーカーの枠を超えた総合エンジニアリング企業としての確固たる地位を築いています。
世界最適地での研究開発と現地適応型モデル
島津製作所のさらなる強みは、その圧倒的なグローバル展開力にあります。現在、海外での売上高比率はなんと56%を超えており、日本国内にとどまらない「真の世界企業」へと変貌を遂げています。単に日本で作ったものを海外で売るのではなく、北米、中国、欧州、アジアといった主要市場ごとにR&D(研究開発)センターや製造拠点を置き、その地域のニーズに合致した「現地適応型」の成長戦略を加速させているのが特徴です。例えば、最大のヘルスケア市場である北米では医療向けR&Dを強化し、環境・医療分野の成長が著しい中国では製品の内製化と臨床アプリの共同開発を進めるといった具合です。これらの世界中の拠点が孤立するのではなく、一つの企業理念の下で有機的に繋がり、欧州での環境規制対応のノウハウが日本の製品開発に活かされるといった「グローバルな知の循環」を生み出している点が、同社の持続的成長の最大の原動力となっています。
※上記に記載した事業の売上構成比や展開地域に関する情報は、記事執筆時点の一般的な目安であり、今後の経営環境によって変動する可能性があります。投資やビジネスにおける最終的な判断は、必ず島津製作所の公式IR資料等の最新情報をご確認の上、ご自身で行っていただくか専門家にご相談ください。
島津製作所の平均年収と就職難易度
島津製作所は理系学生を中心に就職人気が高い企業として知られています。平均年収はおおよそ800万円前後(有価証券報告書ベース)とされ、メーカーの中でも比較的高水準です。
研究開発職の比率が高く、博士・修士卒の採用も積極的です。また、海外売上比率が高いため、グローバル志向の人材にもチャンスがあります。
投資対象としての島津製作所の強み
投資視点で見ると、島津製作所の強みは「リカーリング収益モデル」と「LC/MS分野での世界的競争力」にあります。
- 装置販売後も継続収益を生む保守・消耗品ビジネス
- 医療・環境・食品など景気耐性のある分野
- 半導体・創薬研究など成長市場への展開
一方で、為替や研究投資負担の影響を受けやすい側面もあるため、最新の決算資料を確認したうえで判断することが重要です。
エックス線から質量分析へ続く先端技術の進化
レントゲン発見からわずか1年後の奇跡
島津製作所が今日の世界的な技術的優位性を確立できた背景には、「常に世界の最先端にアンテナを張り、いち早く自らの手で形にする」という並外れた行動力があります。その凄さを最も端的に物語る歴史的エピソードが、1896年(明治29年)のエックス線写真撮影の成功です。ドイツの物理学者ウィルヘルム・レントゲンが未知の放射線「エックス線」を発見したというニュースが世界を駆け巡ったのは1895年の末。なんとそのわずか1年後という信じられないスピードで、島津製作所(初代島津源蔵と息子たち)は独自に装置を組み立て、日本国内でのエックス線撮影を見事に成功させたのです。インターネットはおろか、海外からの情報伝達が極めて限られていた当時の状況を考えれば、これはまさに奇跡的な快挙です。当時の京都がいかに世界との情報の非対称性を解消することに熱心で、高度な実験・実証環境を自前で保持していたかを証明する決定的な証拠と言えるでしょう。
基礎研究への投資がもたらす圧倒的な技術優位性
このエックス線撮影の成功体験は、決して単発の打ち上げ花火で終わることはありませんでした。この時に培われた技術と知見が確かなベースとなり、その後のデジタルX線TVシステムや、現代の病院で不可欠なMRI、さらには特定の部位を高精度にスキャンする頭部・乳房用TOF-PET装置「BresTome」といった、世界トップクラスの高度医療機器事業へと脈々と先端技術の進化が続いているのです。そして、この「目に見えないものを科学の力で捉える」という探求心が、最終的にノーベル賞へと繋がる質量分析技術へと昇華していきました。目先の利益にとらわれず、いつ花開くかわからない基礎的な技術研究に対して継続的に投資を続ける忍耐力。これこそが、他社の追随を許さない島津製作所の技術的優位性を担保する最大の秘密なのです。
中期経営計画で目指す共感あふれる社会の創造
モノ売りからコト売りへのトータルソリューション
常に時代の先を読み続ける島津製作所は、現在、単に高性能な機器を製造・販売するだけの「ハードウェアメーカー」からの脱皮を図っています。それが色濃く反映されているのが、現在の経営方針です。(出典:島津製作所『中期経営計画』)。2025年度を最終年度とするこの計画において、同社は「世界のパートナーと共に社会課題を解決するイノベーティブカンパニー」への変革を高らかに宣言しました。これはつまり、お客様に分析装置を買ってもらって終わりという従来の「モノ売り」から、お客様が抱える研究や製造現場の課題そのものを共に解決する「コト売り(トータルソリューションの提供)」へと、ビジネスの軸足を大きくシフトさせることを意味しています。AIやロボティクスを組み合わせることで、専門知識がない人でも日常的に高度なデータを活用できる、そんな「共感あふれる社会」の実現を本気で目指しているのです。
リカーリングビジネスによる強靭な経営体質
この変革を支える具体的な戦略として、「重点事業(LC/MS)の強化」や「メドテック(医用×分析)事業の強化」などが掲げられていますが、中でも特に注目したいのが「リカーリングビジネスの強化」です。リカーリングビジネスとは、装置を納入した後も、定期的なメンテナンスサービス、消耗品や試薬の販売、ソフトウェアのアップデートなどを通じて、お客様と継続的かつ長期的な関係を築きながら安定した収益を生み出していくビジネスモデルのことです。一度導入されれば長く使われる精密機器の特性を最大限に活かしたこの戦略は、経営基盤を盤石にするだけでなく、現場の生のデータを次世代の製品開発に直接フィードバックできるという巨大なメリットをもたらします。目標に掲げられている売上高5,500億円という強気な数字も、こうした強靭な経営体質への自信の表れと言えるでしょう。
※上記の中期経営計画に関する数値目標(売上高や営業利益率など)や事業戦略は、企業が発表した目標値であり、将来の経済動向や市場環境の変化によって達成状況が変動するリスクを含んでいます。具体的な投資判断等を行われる際は、必ず島津製作所が公式に発表している最新の財務情報やIR資料をご自身で確認し、自己責任においてご判断いただきますようお願いいたします。
SDGs達成に向けたプラネタリーヘルスへの貢献

人の健康と地球の健康を両立させるビジョン
近年、企業の社会的責任が強く問われる中で、島津製作所は「Planetary Health(プラネタリーヘルス)」という非常に壮大で、かつ具体的な経営哲学を打ち出しています。プラネタリーヘルスとは、私たち「人間の命と健康」と、私たちが住む「地球環境の健康」を決して切り離すことなく、一体のものとして捉える最先端の考え方です。島津製作所は、自社が持つ高度な分析技術と医療技術を駆使して、この両方の健康に直接的に貢献していくという強い意志を表明しています。例えば「人の健康」に対しては、血液わずか一滴からがんや認知症のリスクを超早期に発見する技術の開発を進めており、これは超高齢化社会における人々の「健康寿命の延伸」に直結する素晴らしい取り組みです。一方で「地球の健康」に対しては、河川の水質や大気汚染をリアルタイムで監視するモニタリング装置の提供や、製品自体の徹底した省電力化・省スペース化によるライフサイクル全体での環境負荷低減を実現しています。
地域社会との共生とサプライチェーンの透明化
また、同社の持続可能性(サステナビリティ)へのアプローチは、単なる環境保護活動にとどまりません。グローバル企業としての責任を果たすため、複雑化するサプライチェーン全体における人権尊重(英国現代奴隷法への対応など)や、紛争鉱物を使用しない責任ある調達活動を厳格に推進しています。さらに、足元の地域社会との共生にも極めて熱心です。創業の地である京都において、京都府や京都市、さらには地元金融機関である京都銀行などと包括連携協定を締結し、地域の脱炭素化支援や地方創生に向けた具体的なプロジェクトを次々と展開しています。グローバルな視野で地球規模の課題(SDGs)解決に挑みながらも、ローカルな地域社会への感謝と貢献を決して忘れない。この絶妙なバランス感覚こそが、島津製作所が多くのステークホルダーから深く信頼され続けている理由なのです。
京都発企業として世界企業であり続ける島津製作所
150年変わらない「科学技術で社会に貢献する」想い
ここまで、島津製作所が歩んできた150年近い歴史から、現在の最先端の事業展開、そして未来に向けたビジョンまでを詳しく見てきました。仏壇の金具作りから理化学器械の製造へ、エックス線写真の撮影からノーベル賞に輝く質量分析技術へ、そして物質の精密な分析から、人間の精神や感性をデータ化する新たな領域へ。時代とともに彼らが扱う対象や技術は劇的な変化を遂げてきましたが、その根底には常にブレない一本の太い軸が存在しています。それは、創業の地である京都木屋町で掲げられた「正確なデータで事実を捉え、それをもって社会をより良くする」という、極めてシンプルで純粋な信念です。「科学技術で社会に貢献する」という創業者の想いは、150年経った今も色褪せるどころか、地球環境問題やパンデミックといった現代の複雑な課題を解決するための最も強力な羅針盤となっています。
未来を照らす知の灯台としての役割

京都という街は、1200年を超える長い歴史の中で、常に「本物」と「最高品質」を求め、それを頑なに守り抜く一方で、外からの新しい文化や技術を柔軟に受け入れ、独自の形に昇華させてきた稀有な都市です。島津製作所は、この「伝統と革新の止揚」という京都の精神を最も純粋な形で継承し、現代のグローバルビジネスの文脈で見事に再定義することに成功しました。彼らが世界中に送り出す精密機器の一つひとつには、京都の職人が何世代にもわたって磨き上げてきた手仕事の美意識と、世界中の最前線で戦う科学者たちが全幅の信頼を寄せる圧倒的な精度の技術が宿っています。それは単なる計測の道具ではなく、人類が未知の領域を切り拓いていくための「信頼の証」に他なりません。これからも、京都の島津製作所は京都発企業・世界企業として、その確かな技術と革新的なアイデアで、科学の進歩と人類の幸福を照らし続ける「知の灯台」であり続けると私は確信しています。伝統と革新が交差するこの京都の地から、次にどんな驚くべき価値が世界へ発信されるのか、Nippon Culture Labとしても引き続き熱い視線を送っていきたいと思います。

